歌川広重 「近江八景の内 瀬田夕照」

歌川広重 「近江八景 瀬田夕照」/Hiroshige Utagawa "Sunset Glow at Seta"

先日のブログで、歌川広重の花鳥画の中について書きましたけれど、今回も、引き続き広重作品で、行ってみたいと思います。北斎の作品についても書いたので、一つの部屋での展示から、三つ目の記事となります。それだけ充実した浮世絵の展示で、最初に行った時には、一人興奮したものです。

本日の作品は、現在の滋賀県、近江八景を描いた作品の中から「瀬田夕照」という、夕暮れ時の琵琶湖が描かれた作品です。メトロポリタン所蔵の作品では、背景が色あせてますけれど、オンラインで他の作品などを見ると、オレンジ色だったようです。前回のブログで、ゴッホと広重作品の比較をするため、リサーチしていて、オランダにあるゴッホ美術館で、ジャポニズムについて解説したページを見つけました。そこで、述べられていることから、気になったことなども交えて、今回は書いて行きたいと思います。

歌川広重の水面の描き方

風景画を描く際、水面と空をどう表現するかというのは、結構難しい問題です。それぞれのアーティストが、こだわりを持って、水面や空を描いているのを見て行くのは、良い勉強になるし、楽しいものです。このブログでも、以前に、ジョン・セル・コットマンの「嵐の前」という、嵐が来る前で荒れる海と空が描かれた作品を、紹介しました。また、葛飾北斎は、有名な「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」で、荒々しい波しぶきの間から、富士山が見えるところを、絶妙の構図で表現しました。広重は、どちらかというと、静かな水面を好んで描いたようです。特に、この「瀬田夕照」では、琵琶湖ということもあるのでしょうが、波のあまりたっていない穏やかな湖面が、右前から、左奥に滑るよう広がっています。白で光が表現された水面は、浮かんでいる船ともども、シンプルで、より詳細に描きこまれた陸地や橋と対照的です。

この絵で使われている色は、青色、オレンジ、白、黒の四色のみなのですが、青とオレンジは、補色の関係にあります。夕暮れ時の空の色と湖面が、お互いに映える色使いとなっています。白と黒も対照の色なので、全体的に、とてもバランスが取れた配色となり、落ち着いた雰囲気を作り出しています。

ヨーロッパの画家が好んだ日本の浮世絵

ここで紹介している広重や、他の浮世絵画家の作品は、19世紀のフランスのアーティストの間で、とても人気だったんです。モネやゴッホ、ドガ、ホイスッラーといった画家たちは、日本の木版画を収集していました。なぜ、ヨーロッパのアーティストが日本の浮世絵を見て、感動したかというとを理解するには、ヨーロッパにおける美術の歴史というものを、少し考えてみる必要があります

ヨーロッパでは、ギリシア、ローマ時代に始まって、ルネッサンスを経て、19世紀にいたるまで、前の時代を受け継ぎつつ、常に新しい方向を模索するアートの歴史があり、そういった中で、奥行きや立体感を出すための遠近法や、ハッチングなどに代表される影の付け方などが、確立されていったわけです。どうすれば、三次元に見えるものを、二次元のキャンバスや紙上にリアルに表現するかということを、アーティスト達が追及した伝統があったのです。その結果、絵の描き方を学ぶ際には、こういった学術的、科学的な理論を知っていることが、重要視されるようになったのです。人物画を描く際に、解剖学などを学ぶのも、その一例です、

ところが、日本の画家たちは、そういったヨーロッパの伝統にはもちろん無縁ですし、三次元空間の再現ということに、それほど頓着している様子がありません。遠くのものを小さく描くなどの、多少の遠近法はあるもの、立体感を付けるために影を付けたりはしません。平ら(フラット)に人間や空間を表現します。まさに、ヨーロッパとは、まったく違ったコンテクスト上にある芸術であり、それが、ヨーロッパのアーティストにとっては、新鮮だったのです。

オランダにある、ファン・ゴッホ美術館のホームページには、ジャポニズムを解説したページがあり、日本の浮世絵のどのような特徴が、ゴッホを魅了したかが書かれています。

日本のアーティストは、構図の中央に何も描かずに空間として残したり、手前にあるものを拡大して描いたり、水平線を省略したり、画面の端にあるものは、全て描かずに切ってしまったりします。西洋のアーティストは、(西洋美術の)伝統に従った形で、物を(画面に)配置しなくても良いということを、(日本のアーティストから)学んだのです。

広重の「瀬田夕照」を見てみると、中央部分には、湖面が広がっています。船は周辺に配置されているため、真ん中はぽっかり開いている印象です。対して、ヨーロッパの画家の絵を見ると、宗教画の影響か、中央付近に最重要なものが置かれていることが多いです。これは、よくわかりませんが、西洋における自我とか自己意識の発展といったことと、関係しているかもしれません。日本においては、21世紀の今にいたるまで、自己を確立するとか自己を尊重するとか言ったことは、欧米に比べて、それほど重要視されずに来ているように思います。そういう意味で、真ん中を空にする構図も、日本人の自我意識(あるいは、その欠如)みたいなものを、象徴している可能性があります。

また、遠近法について見てみると、「瀬田夕照」は、それほど気にして描かれているとは言えません。後方にいる船の帆は小さく描かれているのは、奥行きを表現していますが、手前の橋に対して、前方にいる船の帆が大きすぎると思われます(もしかしたら、巨大な船だったのかもしれませんが)。それに、右後方の山も、その前の山々に対して、大きすぎる感じです。そもそも、この絵の感じだと、とても高いところから見たところだと思うのですが、これだけ引いていると、船の帆とかは、ここまではっきりは見えないのではないでしょうか。つまり、リアリズムというのは、それほど、追及されていないということなのです。それでも、絵として成功しているのは、広重が見たもの(あるいは記憶したもの)を、絵を描く段階で、とてもうまく編集しているからでしょう。

ジャポニズムとプリミティブであるということ

ファン・ゴッホ美術館のサイトで、ゴッホとジャポニズムについての解説を読んでいて、一つ気になったことがあります、。それは、ゴッホが使っている、「プリミティブ」という言葉です。

日本のアートは、原始的(プリミティブ)のようで、ギリシア人(のアートのよう)で、古いオランダ人(アート)のようで、レンブラントのようで、ハルスのようで、フェルメールのようで、オスターデのようで、ロイスダールのようで、どんどん、終わりがない。(弟セオへの手紙より)

ここで、ゴッホは、日本のアートを一番に、より原始的な人たちが描いた絵のようだとしています。後で、ヨーロッパの巨匠のようでもあるとしていますので、けっして、浮世絵を蔑んでいる発言では、ないとは思います。けれど、この「プリミティブ」というのは、ヨーロッパ人が、より洗練されていないと考える地域の人たちを指して、使われる言葉ではあります。ヨーロッパでは、ヨーロッパ人の人間としての優位(インテリジェンスを含むすべての面で洗練されているという見方)が、植民地化を正当化する理由とされていましたので、ゴッホは意識していなかったかもしれませんが、「プリミティブ」という言葉が使われる時、そういった背景があるということを、考えずにいられません。

同じく、ファン・ゴッホ美術館のサイトでは、ゴッホは、南仏に転居したのは、「よりプリミティブな、日本的な場所を求めて」となっています。つまり、パリの伝統的ヨーロッパ(より洗練された)芸術より、より地方の後進的なところに戻ることで、新しい芸術を確立できるという発想なのです。ゴーギャンが、タヒチに住んだのも、こういった発想の延長です。また、ピカソが、アフリカのマスクから、人物画を描く際のヒントを得ていたことも、知られていることです。

伝統的な手法から脱する方法を模索する19世紀末や20世初頭のアーティスト達にとって、プリミティブと呼ばれる地域のアート作品は、時に斬新で、自らの作品にとりいれることで、新しい境地を開くことが出来るインスピレーションの源だったのです。けれど、この態度は、必ずしも、彼らが「プリミティブ」と呼ぶ人達を、同じ人間やアーティストとして、尊重しているということと同じではないのです。ゴッホが日本人アーティストを、上から目線で見ていたと言って、非難しているのではありませんけれど、欧米における「プリミティブ」という言葉は、先ほど述べたように、植民地主義につながる言葉であると思っていますので、簡単には見逃せない言葉であります。日本人である私たちは、広重や北斎が19世紀末のヨーロッパの芸術家の間で人気であったいうことで、「やっぱり、日本のアートはすごい」となりがちですけれど、日本人が日本の作品を見るようには、他の地域の人達は日本の作品を見ていないということを、押さえておくのは大切なことです。

私は、19世紀のヨーロッパで、芸術家たちが日本画のファンになったのは、明治時代の画家が、ヨーロッパのアートに触れて、西洋的技法を積極的に取り入れて、それが今日まで続いていることと、基本的には同じようなことだと考えます。古くから伝統的な芸術とは全く違ったものを見た時に、そこに新しい可能性を見て興奮するというのは、西洋のアーティストでも日本のアーティストでも、あることでしょう。ただ、日本人の場合は、欧米アートを「原始的(プリミティブ)」とは言ったりしません。「それは、なぜなのか」という問いは、私にとっては大事な問いです。

ということで、本日の作品は、歌川広重「近江八景の内 瀬田夕照」/Hiroshige Utagawa “Sunset Glow at Seta from the Series Eight Views of Omi Province” (1834-35)でした.

歌川広重の「燕子花と川蝉」とゴッホの「アイリス」を比較したエントリーは、こちらです。

メトロポリタン美術館で、歌川広重の「カキツバタと川蝉」という作品を見る機会がありました。カキツバタは、英語とアイリスとなり、広重作品などの浮世絵を愛したゴッホも描いた花となります。二人のアイリスの絵を、構図、色使いなどと言った点から比べてみました。

葛飾北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」を紹介したエントリーは、こちらです。

アメリカで、「ビッグウェーブ」と呼ばれ、Tシャツプリントにも使われている北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」。海を越えて、多くの人に親しまれているデザインの浮世絵ですが、メトロポリタン美術館では、意外とひっそりと展示されていて、驚きました。

イギリス人のジョン・セル・コットマン「嵐の前」を紹介したエントリーは、こちらです。

ジョン・セル・コットマンの「嵐の前」を見ると、アーティストにとって、いかに基本の技術が大切かということを教えられます。細かいところまで描きこまれている部分と、そうでないところの対比が効果的に用いられているることに加えて、色も美しく、見ていてあきることがない水彩画です。

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