アンディ・ウォーホルというアーティストについて考えた

アンディ・ウォーホルの人気

ホイットニー美術館 ウォーホール展

ホイットニー美術館での、大規模なアンディー・ウォーホル展に、行って来ました。混んでいる美術館が嫌いなので、平日の昼間を狙って行ったのに、入り口の前には、列が出来ていました。閉会間近とは言え、平日の昼間、これだけ混むというのは、ニューヨークの美術館では、なかなかありません。最初、建物に入るのに並んで、さらにチケットを買うのに並ぶことになりました。中に入っていみると、オーディオ作品などヘッドホンを使う作品は、待たないと見れないし、作品の点数は多いので、一日では見切れず、結局、次の日も行くことに。木曜日と金曜日の昼間の2日、並ぶだけでそれぞれ1時間弱を使うことなりました。

並んでいる間、暇なので、周りにいる老若男女色々な人たちを観察していると、かなりの割合で、親子連れ(大学生、高校生とお父さんやお母さん)という組み合わせを、見かけました。春休み中なのでしょうか。10代や20代の男の子や女の子が、今日はお父さん(またはお母さん)とお出かけと言う日に、ウォーホル展は、お互いそれなりに楽しめて、会話がはずむ場所なのでしょうね。

列のところに、ホイットニー美術館の職員が来て、「メンバー(年間80ドル)になったら並ばなくて良いよ。」と一人一人を勧誘、時間とエネルギーの節約に80ドルは安いという人達が、さっそくメンバーになっていました。また、美術館のお店も、レジ前に列が出来るほどの人気でした。亡くなって30年、ウォーホールの知名度と集客力は、本当に相当なものがあります。彼の作品は高額で取引されていることが知られていますが、美術業界のとっては、まさにドル箱であるということを、証明しています。

ウォーホールが嫌いな人達

「アンディー・ウォーホール ハンバーガーを食べる」ウォーホール展で上映されていた短編映画

「アンディー・ウォーホール ハンバーガーを食べる」ウォーホール展で上映されていた短編映画

次の週、ウォーホール展に行った話を、何気なく、絵の先生にしたところ、実は、先生はウォーホルが大嫌いだったらしく、「なぜ、ウォーホルがアートにとって、悪でしかなかったのか」という話になりました。その先生に考えによれば、ウォーホルは、アートを金儲けの手段、コマーシャルにしてしまったことと、才能がなくても有名にさえなれば良いというセレブレティ―文化を、作り出した元凶であるということです。

私の先生だけではなく、ウォーホールに否定的な人というのは、いるものです。例えば、有名な批評家、ロバート・ヒューズは、ウォーホールの作品および人気、そして態度を含めて、芸術に対する冒とくと感じていたのか、批判を繰り返ししていました。ヒューズは、ドキュメンタリー『モナリザの呪い』の中で、投機目的でウォーホール作品などを購入している富豪を、アートを理解しない(要するに趣味の悪い)コレクターとして揶揄する場面があります。「ウォーホール作品は、冷たいよね」と言って。

確かに、ウォーホールは、「アートはビジネスである」ということを、明言しましたし、非常にお金儲けの上手いアーティストでした。彼は、アートとは金儲けで、お金を稼ぐことが上手い人は、全てアーティストであると言ってはばからず、アーティストやアートを神棚から引きずり下ろて、資本主義のベルトコンベヤーに並べたと言えます。ウォーホールは、キャンベル・スープ缶やマリリン・モンローなど、すでに巷に出回っているイメージを、シルクスクリーン作品の主題としたことで知られていますが、自殺の現場と言ったショッキングなシーンや、今回の展示会では展示されていませんでしたが、原爆のきのこ雲もシルクスクリーン作品としました。

要するに、彼の中では、聖域なく全てのものが、アート(ビジネス)の対象だったのです。そして、セレブリティ文化の中心にいること、注目されることが大好きだったことも、間違いありません。それに、小便をキャンバスに注いだ抽象画など、とにかく、お上品なアーティストではないのは間違いありません。

アートの商品化とウォーホール

けれど、アートや文化の堕落にウォーホールが手を貸したとするのは、少し違う気がします。芸術家の作品制作というのは、ウォーホール以前から、かなりコマーシャル、あるいはお金と権力に関係するものでありました。アーティストが、リッチとパワフルをパトロンとして、作品を作って来たのはルネッサンス時代も、今も同じです。現代成功しているプロのアーティストというのは、先ほどのウォーホールが嫌いな私の先生も含めて、作品の値段がかなり高額ですので、富裕層でなければ、購入することはなかなか難しいでしょう。

また、確かに、先生が言うように、現代のセレブリティ文化は、かなり醜悪ですけれど、イタリアの貴族社会も負けないくらい醜悪だったことでしょう。少なくとも、今は、下流階級出身でも、有名にさえなれば、お金を稼ぐことが出来るという意味では、ルネッサンス時代よりは、ましかもしれません。つまり、ウォーホールは、アートやアーティストを取り巻く状況としてすでにあったものを、作品や自身の言葉として、発信しすることで顕在化、あるいは誇張して顕在化させたと、言えるかもしれません。ウォーホールが、アートがビジネスで「何が悪い」と、開き直ったというか、肯定してしまったところに、腹が立つ気持ちは、分からないでもありませんが。

また、現在、資本主義経済というのが、私たちの生活の隅々まで染みわたっている様子をみるに、ウォーホールが例えいなくても、現在の、アート作品の過剰ともいえる商品化というものは、避けられなかったように見えます。その意味で、ウォーホールという人は、芸術の歴史にとっては、必然であったのかもしれません。

ウォーホールは、Factory(工場)と呼ばれるスタジオで、アシスタントを使って作品を作成していました。現代、大きなスタジオで、アシスタントを使って作品を次々作りだしている高額アーティスト(たとえばジェフ・クーンズや村上隆といったアーティスト)に、ウォーホールは、大きな影響を与えています。好き嫌いはともかく、アンディー・ウォーホルという人は、議論の対象として、これから何百年たっても、語られ続けるアーティストであることでしょう。

というわけで、本日は、アンディー・ウォーホールというアーティストについて、書いてみました。

ウォーホール展の展示作品「銃」についてのブログエントリーは、こちらからどうぞ。

ウォーホルは、アメリカで大量消費される、キャンベルスープ缶や有名人の顔をシルクスクリーン作品の題材としました。ポップアートと呼ばれ、楽観的なイメージが一見あるウォーホル作品ですが、交通事故の現場や電気椅子といった暴力に関する作品もけっこうあります。今回は、「銃」という作品について書いてみました。
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